はじめに
M&A(企業の合併・買収)を検討する際、経営者様にとって最大の関心事は「自社はいくらで売れるのか」、あるいは「相手企業をいくらで買うべきか」という「価格」の問題ではないでしょうか。
しかし、企業の価格(企業価値)には、スーパーマーケットの商品のような定価はありません。財務状況、将来の収益性、保有する技術やノウハウ、そして市場環境など、様々な要素を複合的に評価して算出する必要があります。これを「バリュエーション(企業価値評価)」と呼びます。
一方で、提示された財務データや事業計画が本当に正しいのか、帳簿に載っていない借金(簿外債務)や法的トラブルが隠れていないかを確認する作業も不可欠です。これを「デューデリジェンス(買収監査)」と呼びます。
M&Aの失敗事例の多くは、「高値掴みをしてしまった」「買収後に巨額の簿外債務が発覚した」「権利関係が整理されておらず事業が継続できなかった」といった、バリュエーションとデューデリジェンスの不足や甘さに起因しています。
本記事では、M&Aを成功に導くための両輪である「バリュエーション」と「デューデリジェンス」について、その基本的な仕組みから、具体的な手法、そして法務リスクとの関係性について解説します。
Q&A
Q1. 企業の買収価格はどのように決めるのが一般的ですか?
企業の買収価格は、主に3つのアプローチ(手法)を組み合わせて検討されます。
一つ目は、企業の保有する資産価値に着目する「コストアプローチ(純資産法など)」、二つ目は、将来生み出すキャッシュフローや利益に着目する「インカムアプローチ(DCF法など)」、三つ目は、類似する上場企業や取引事例と比較する「マーケットアプローチ(マルチプル法など)」です。
中小企業のM&Aでは、純資産に数年分の利益を上乗せする「年買法(年倍法)」という簡易的な手法が用いられることも多くあります。最終的には、これらの算定結果をベースに、売り手と買い手の交渉によって決定されます。
Q2. デューデリジェンス(DD)は必ず実施しなければなりませんか?
法的に義務付けられているわけではありませんが、実施することを推奨します。
デューデリジェンスを行わずに買収することは、中身の分からない箱を大金で購入するようなものです。買収後に多額の未払い残業代請求が発生したり、許認可が引き継げないことが判明したりといった致命的なリスクを避けるためにも、専門家による詳細な調査が重要です。また、取締役がデューデリジェンスを怠って漫然と買収を行い、会社に損害を与えた場合、善管注意義務違反として株主から責任を追及されるリスクもあります。
Q3. デューデリジェンスで問題が見つかった場合、M&Aは中止になりますか?
必ずしも中止(ブレイク)になるわけではありません。
問題の内容や程度によりますが、多くの場合は以下のような対応策をとることでM&Aを継続します。
- 買収価格の減額: 発見されたリスクや負債の分だけ価格を下げる。
- クロージング前の是正: 未払い賃金の清算や契約書の不備修正などを、M&A実行(クロージング)の条件とする。
- 表明保証・特別補償: 契約書において「問題がないこと」を売り手に保証させ、万が一問題が発生した場合は損害賠償を行う条項を盛り込む。
ただし、粉飾決算や重大な法令違反など、修復不可能な問題が発覚した場合は、M&Aを中止する判断が必要です。
解説
1. バリュエーション(企業価値評価)の基本と主要な手法
バリュエーションとは、M&Aにおいて対象会社の経済的な価値を見積もることです。絶対的な正解があるわけではなく、買い手がその会社にどのような価値(シナジー効果など)を見出すかによっても評価額は変動します。
一般的に用いられる評価手法は、以下の3つのアプローチに大別されます。
(1) コストアプローチ(資産に基づく評価)
対象会社が保有する「資産」と「負債」をベースに価値を算出する方法です。
- 簿価純資産法: 貸借対照表の純資産額をそのまま価値とする方法です。計算は容易ですが、資産の時価(含み益・含み損)が反映されない欠点があります。
- 時価純資産法(修正純資産法): 不動産や有価証券などの資産を時価評価し直し、含み損益を反映させた上で、実質的な純資産額を算出する方法です。客観性が高く、中小企業のM&Aで最も重視される指標の一つです。
(2) インカムアプローチ(収益に基づく評価)
対象会社が将来生み出すと予測される「収益」や「キャッシュフロー」をベースに価値を算出する方法です。
- DCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法): 将来計画に基づいたフリーキャッシュフローを、リスクを反映した割引率で現在の価値に割り引いて算出する方法です。理論的には最も合理的とされますが、事業計画の精度や割引率の設定によって結果が大きく変わるため、恣意性が入りやすい側面があります。
(3) マーケットアプローチ(市場に基づく評価)
類似する上場企業や、過去の類似M&A事例と比較して価値を算出する方法です。
- 類似会社比準法(マルチプル法): 業種や規模が似ている上場企業の株価指標(PERやEBITDA倍率など)を参考に算出します。客観的な市場評価を反映できますが、独自性の強い中小企業の場合、適切な比較対象が見つからないことがあります。
(4) 中小企業M&Aの実務慣行「年買法(年倍法)」
中小企業の現場では、複雑な計算を避けるため、以下の簡易的な計算式がよく使われます。
企業価値 = 時価純資産 + (実質営業利益 × 1年〜3年分)
この「営業利益の数年分」は「営業権(のれん)」とみなされ、会社の収益力やブランド力、技術力を評価したものです。分かりやすく納得感を得やすいため、初期的な価格交渉の目安として頻繁に利用されます。
2. デューデリジェンス(DD)の役割と種類
バリュエーションで算出した価格は、あくまで「表に出ている情報」に基づいた暫定的なものです。その前提情報が正しいかどうかを検証するのがデューデリジェンス(DD)です。
DDには主に以下の種類があり、それぞれの分野の専門家が担当します。
- ビジネスDD: 事業の将来性、市場環境、競合優位性などを調査。(経営コンサルタント等が担当)
- 財務DD: 財務諸表の適正性、資産の実在性、税務リスクなどを調査。(公認会計士・税理士が担当)
- 法務DD: 契約関係、組織運営、労働問題、許認可、訴訟リスクなどを調査。(弁護士が担当)
- 人事労務DD: 組織風土、人材の質、キーマンの状況などを調査。(社会保険労務士・人事コンサルタント等が担当)
3. 法務デューデリジェンス(法務DD)の重要チェックポイント
私たち弁護士が担当する法務DDでは、主に以下の項目を重点的に調査します。これらはM&A後に重大なトラブルに発展しやすい「地雷」となり得る箇所です。
(1) 株式・組織の適法性
- 株式の帰属: 本当に現在の株主が100%の株式を保有しているか。過去に名義株(名前だけ借りている株主)が存在していないか。
- 株主総会の手続き: 過去の株主総会招集手続きや議事録に不備がないか。これらに瑕疵があると、過去の決議が無効となり、現在の役員選任や定款変更が覆るリスクがあります。
(2) 契約関係
- チェンジオブコントロール条項(COC条項): 主要な取引先との契約書に「株主や経営権が変更された場合、契約を解除できる」旨の条項が入っていないか。これを見落とすと、M&A直後に重要取引先を失うことになりかねません。
- 不利な契約: 著しく不利な条件での取引契約や、連帯保証契約などが存在しないか。
(3) 労務・人事
- 未払い残業代: タイムカードと給与明細を照合し、未払い残業代の潜在債務がないか。簿外債務の中でも金額が大きくなりやすい項目です。
- 社会保険の加入状況: パート・アルバイトを含め、適正に加入手続きがとられているか。
- 問題社員・ハラスメント: 係争中の労働トラブルや、ハラスメント事案が存在しないか。
(4) 許認可・知的財産権
- 許認可の承継: 事業継続に必要な許認可がM&Aスキーム(株式譲渡・事業譲渡など)によって維持できるか、あるいは再取得が必要か。
- 知的財産権: 自社の主力商品に関する特許や商標が、会社名義で適切に登録されているか(社長個人名義になっていないか)。他社の権利を侵害していないか。
(5) 訴訟・紛争
- 現在係争中の裁判だけでなく、将来訴訟に発展しそうなクレームや紛争の種がないか。
4. バリュエーションとDDの相互作用と契約への反映
バリュエーションとDDは独立したプロセスではなく、密接に連動しています。DDの結果は、最終的な取引条件や契約書(株式譲渡契約書など)に反映されます。
1. 価格調整(Price Adjustment)
DDで簿外債務(例:未払い残業代1000万円)が見つかった場合、当初の合意価格からその分を差し引くよう交渉します。また、収益性に疑義が生じた場合(例:主要取引先との契約終了リスク)は、DCF法の事業計画を見直し、評価額を下げます。
2. クロージングの前提条件(Conditions Precedent)
DDで発見された法的な不備(例:定款の変更登記漏れ、就業規則の未届出)について、M&A実行日(クロージング)までに売り手の責任で是正することを条件とします。これが完了しなければ、買い手は代金を支払う義務を負いません。
3. 表明保証(Representations and Warranties)
DDですべてのリスクを網羅することは物理的に不可能です。そこで、契約書において、売り手に「財務諸表は正確であること」「法令違反がないこと」「開示した情報以外に重要な事実はないこと」などを表明し、保証させます。もしこれに違反(虚偽)があった場合、買い手は損害賠償を請求できます。
4. 特別補償(Special Indemnity)
DDで特定された具体的なリスク(例:進行中の特許侵害訴訟)について、そのリスクが顕在化して損害が生じた場合、売り手が全額を補償することを個別に合意します。
弁護士に相談するメリット
M&Aにおけるバリュエーションとデューデリジェンスは、財務と法務が複雑に絡み合う専門的な領域です。弁護士に相談することで、以下のようなメリットが得られます。
1. 隠れたリーガルリスクの発見と評価
財務諸表には表れない「法的なリスク」は、弁護士による法務DDでなければ発見が困難です。契約書の条項解釈、労働法の遵守状況、知的財産権の帰属など、専門的な調査により、買収後の予期せぬトラブルを未然に防ぎます。
2. 適正なバリュエーションへの反映
法務DDで検出されたリスク(訴訟リスクや未払い残業代など)を、金額換算して評価額に反映させるためのロジックを構築します。単なる値切り交渉ではなく、法的根拠に基づいた合理的な価格交渉が可能になります。
3. M&A契約書によるリスクヘッジ
DDの結果を踏まえ、最終契約書(SPA)において、買い手を守るための条項(表明保証、補償、前提条件、エスクロー条項など)を精緻に設計します。DDで見つかった問題を契約でどのように手当てするかは、弁護士の腕の見せ所です。
4. 経営判断の適法性確保
経営陣にとって、M&Aは巨額の投資判断です。十分なDDを行わずに失敗した場合、株主から善管注意義務違反を問われる可能性があります。弁護士の助言を得て適切なプロセスを経ることは、経営陣自身の法的責任を守ることにもつながります。
まとめ
M&Aにおける「バリュエーション」は企業の適正価格を知るための羅針盤であり、「デューデリジェンス」は航路上の暗礁(リスク)を発見するためのソナーです。
どちらが欠けても、M&Aという航海を安全に成功させることはできません。
バリュエーションによって算出された価格は、あくまで出発点に過ぎません。詳細な法務DDを通じて対象企業の実態を正確に把握し、そこで発見されたリスクを価格調整や契約条項に適切に落とし込むプロセスこそが、M&A実務の本質です。
特に中小企業のM&Aでは、契約書や労務管理が曖昧なケースが多く、法務DDの重要性は極めて高いと言えます。
M&Aをご検討の経営者様や担当者様は、価格交渉の前段階から、法務・財務の専門家を巻き込み、戦略的かつ慎重にプロセスを進めることをお勧めします。
弁護士法人長瀬総合法律事務所では、多数のM&A案件に関与した実績を持つ弁護士が、法務DDからバリュエーションへの助言、契約交渉まで、貴社の利益を最大化するためのトータルサポートを提供いたします。M&Aに関するご相談は、ぜひ当事務所にお任せください。
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